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野球コラム

バットを振れなかった悔しさ その悔しさを糧に

投稿日:2018年10月9日 更新日:

みなさまこんばんは!tadashiです!

プロ野球のさまざまなことについて書いているブログです。

今回は前回同様、特定の選手に焦点を当てる、「スターへの道」シリーズをお送りします!

今回ご紹介するのは、高校時代から「ゴジラ」の異名をとり、現役時代は巨人、そしてメジャーリーグでも活躍した、松井秀喜選手です!

ホームランバッターの代表格としても名高い松井選手。高校時代から、その体格や打球の飛距離は高校生離れしていました。

甲子園でも大活躍をしましたが、その裏では誰もが忘れない事件もありました。

プロでも読売で活躍をし、最後はメジャーリーグで現役を終えた松井選手。将来的な読売での監督候補とも言われている、そんな松井選手についてご紹介いたします!

 

バットを振れなかった悔しさ その悔しさを糧に

星稜高校時代

松井選手は、高校時代を石川県の名門高校である星稜高校で過ごしました。

小学校の頃から大きな体格をしていた松井選手。実際に野球をしていても、松井選手の飛距離はずば抜けていたと言われています。

また、有名なエピソードとしては、松井選手は元々は右打ちの選手だったということです。

強打の左打者として有名な松井選手なので、昔は右打ちだということを知ると、驚く人がたくさんいます。

当時あまりにも右打ちで打ちまくったため、友人から左打ちで打つように強制的にさせられた、これが左打ちのルーツとなりました。

左打ちでもしっかりと成績を残し、星稜高校でも1年生時から4番を任される存在になります。

夏の甲子園に1.2年生時に出場。1年生時は結果を残すことはできませんでしたが、2年生時では本塁打を放つなど、着実に成績を残しました。

そして3年生時の春の甲子園では本塁打を量産。いよいよ夏の甲子園で爆発か!と思われた矢先、事件はおきました。

 

伝説の敬遠事件

松井選手最後の夏の甲子園、星稜高校は見事地方予選を勝ち抜き、甲子園に帰ってきました。

誰もが松井選手に注目をする中で、初戦の相手は高知の明徳義塾高校でした。全国制覇の経験もある、強豪校です。

監督は、現在もなお明徳義塾の監督を務める、馬淵史郎監督でした。その馬淵監督は、大胆な策に出ます。

それは、松井選手との勝負を避ける ということでした。

ランナーがいる場面で敬遠するのは、大量得点を防ぐという意味では普通の戦略です。ところが・・・

馬淵監督は、なんとランナーがいない場面でも敬遠することを選択したのです。

ランナーがいない場面での敬遠は、相手に一つ塁をあげることになるので、それでもリスクは高いものです。

しかし、それよりも本塁打を打たれれば、無条件で1点は入るので、それを避けることを選択したのでしょう。

ただ、それがなんと5打席連続の敬遠となったのです。

結局この日、松井選手はバットを一回も振ることはありませんでした。

高校最後の夏に、衝撃的とも言えるこの敬遠策。怒ったファンは球場内にメガホンを投げ込むなど、異様な光景となっていました。

この事件は今でも、度々紹介されるものとなっています。

 

巨人へ入団

様々なことがあった松井選手ですが、1993年に巨人へ入団します。

当時の報道陣の過熱ぶりは、凄まじいものがあったと言われていますが、それもそのはずです。

高校時代から注目されていたスラッガーが、人気球団の巨人へ入団したことは、尚更注目度を高めました。

シーズン前のキャンプでは、信じられない飛距離の打球を何本も放ちますが、オープン戦では大苦戦します。

それでも、2軍で結果を残し続けると、1年目から1軍の試合に出場するようになりました。

1年目から2桁本塁打を記録すると、2年目で早くも20本塁打以上を記録。

さらにその後は毎年30本以上の本塁打を放つなど、あっという間にスターへの階段を登っていきました。

そして2002年、ついに50本塁打を記録!
2018年現在でも、過去に10名程度しか達成していない、まさに偉業を成し遂げました。

日本で十分な実績を残したと同時に、メジャーリーグへの関心が芽生えた松井選手。この年に、メジャーへの挑戦を明言しました。

メジャーリーグへ挑戦

2003年、ニューヨークヤンキースへと移籍することが決まりました。名門中の名門と言われるチームです。

そんなチームの中でもしっかりと試合に出場し、デビューからわずか2週間、メジャーリーガーとして初の本塁打を記録します。

しかも、なんと満塁本塁打となりました!

鮮烈なデビューを飾った松井選手ではありましたが、その後満足いく成績を残すことはできませんでした。

それでも、2008年には歴史に名を残す活躍をします!

日本で言うところの「日本シリーズ」のアメリカ版、「ワールドシリーズ」で、日本人として初めてMVPを獲得しました!

大舞台で結果を残すその精神力は、メジャーリーグでも発揮されました。その後引退し、現在は解説や、臨時コーチとして出向くこともあります。

いつか、巨人の監督をすることがあるのでしょうか?

次回は?

次回も、スターへの道をお送りします!

ぜひご覧ください!

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